引き寄せの法則で心を穏やかに。

不安障害な私が 引き寄せの法則や潜在意識を使って改善を試みたり考えたりするブログです。

《痛み》はサイン、日常の不協和や病気もサイン?

Happyさんの漫画で「嫌な気分を感じた時は「違うよ!」と警告されていると言う事」と言う言葉が出てきます(これは本当の自分の気持ちを無視した時、本当の自分とのエネルギーのズレから来ると言う話でした)

今までもHappyさんやら何やらスピリチュアル系の物を見てきて「他人や現実との不協和や嫌な感情は、そっちの方向じゃないですよ、本来の自分からズレてますよと言うサイン」と言った事はよく聞きました。

良くない方向に行こうとしている事を、嫌な出来事や嫌な感情が起こる事によって教えてくれる・・それには病気や怪我やにっちもさっちも行かなくなるような事も。

けれど「教えてくれる」って言うけど、正直そんな教え方しないで普通に教えてくれよ!と思ってました。

『大いなる全て』なんでしょ?全知全能なんでしょ?なのに何でわざわざ嫌な思いや辛い思いさせるの??そう思ってました。

 

けど「痛覚」と言うものがあります。痛いのは嫌ですよね。

でのその痛覚が無かったら、怪我をしても気づかないままその部位は腐り落ちてしまう。病気になっても気づかずそのまま死んでしまう。

それと同じ事なんだと気づきました。だから「嫌な出来事はサイン」なんだと。

そしてきっと病気もサインなんだと。全ての病気がそうかは分かりませんが、私は今この状態になって色々と考える事が増えました。1度はほぼ治った不安障害が再燃して、辛いし「どうしてこんな事に?」と思いましたし、今も思ってます。

けどそれをキッカケに引き寄せの法則・宇宙の法則を知り、それらを知って「私のあの考え方じゃこうなるのも当然だ」とすら思います。

再燃する少し前から引き寄せの法則には触れていたけど、その当時は心は苦しいけどとりあえず日常に困ってはいなかったので引き寄せの法則をいいな、と思えど実践するには至らなかったのです。

だから今のように、再燃する事でやらざるを得ない(やってみようと思う)状況になったのかなと思います。勿論それを無視して、心の問題に向き合わず病院に行って世間一般の治し方だけで治そうとする事も可能だったでしょうが・・きっとそれでは根本が解決せず同じ問題を繰り返したんじゃないかと思います。

 

「望まないものを見て、自分の望みを知る」

そうかも知れないけど、望まないものなんて見せずに直接望むものだけ見せてくれたらいいのに。

昔からある言葉「失敗は成功のもと」

そうかも知れないけど、失敗なんてしないで1発で成功出来た方がいいよね。

そう思ってきたけれど、一見悪い事に思える事もそこから気づく事や学ぶ事がある。

必要な事がある。

 

今回改めてそう思う事が出来ました。

そう思えたのは《中田敦彦YouTube大学》の「君たちはどう生きるか」の解説動画です。今回のような話をしてる訳ではありませんが、その中の一部の話を聞いてて「あれ、これって・・」と思いました。

とても面白い(考えさせられる)内容だったのでオススメです。

 

最近、直接関係のない話でもそこから「ふと」気づいたり、考えたりする事が増えたと感じています。感覚が鋭くなってきてるんじゃないかな~と思ってます。

 

 

 

 

 

まだ「キレイに書こう」としている

 ブログの方針を変えようと思います。で「文章が断片的であったり、まとまらない文章が増えるかも」と書いたように、断片的でも思った事・気づいた事をlog(記録)すればいい。

『今 ! ! 』その文章をまとめ、分かり易く書き記す必要があるだろうか?

断片的でもその時々を記録し、それらが後で繋がったり、考えが移行する様子が見て取れればいい。

今は欠片でも、脈絡がないように見えても『今 ! ! 』はそれでいい。

 

 

ブログを書くの、下手。

 つい先日ブログの方針を変えようと思います。 で「伝わるかどうかは別として書きたいように書く」と言ったのに前回の「一気に飛ぶ事」を『許可』すると言う100字程度の内容に1時間近く掛かってしまいましたorz

本当は10分20分位でさらっと書くつもりだっだんですが・・。

書いてるうちに長くなり、話がわき道に逸れ、言いたい本筋が分からなくなってしまうので色々削ってあの文章です。結局何だかわからないと思いますけど;

 

やはり「書きたいように書く」と言ってもいきなりは難しいですね。さらっと書くことに慣れていけるといいなあと思います。

 

「一気に飛ぶ事」を『許可』する

「1から5に行く為には間に2・3・4があって、それを経由しないと5には辿り着けない」と、思っている・決めつけてるのは自分で

「1から5に一気に飛んでもいいんだ!」と自分が許可出来たら、容易に世界が変わるのかもしれない。

 

 

ブログの方針を変えようと思います。

私は文章を書くのが得意ではないし話をまとめるのも上手くないしキーボード打つのも遅いのでブログを書くのはかなり時間・体力・気力を使います。

それでも今までは一応人に見て貰う事のある文章なので言い回しや書き方や内容をそれなりに考えて書いてました。

けれどそれで気力体力を消耗するので、書きたいと思っても話がまとまらなかったり書いてるうちに自分が何が言いたいのか分からなくなったり書いてるうちに長文になりすぎて収拾つかなくなったり・・。

そうやって「書きたいけど話がまとまらないで結局書けない」そんな事が多いので、いっそ「伝わるかどうかは別として書きたいように書く」と言う方針に変えようかと思います。

なので文章が断片的であったり、まとまらない文章が増えるかも知れません。

また、言っている事が変わったり矛盾があったり、同じような事を何度も言う事もあると思います。

ただそれは私がその時々に思った事・考えた事のlog(記録)なので、伝える事よりも記録として残す事、その上で見てる人が何か思ってくれたら嬉しいな、位でやっていけたらと思います。

また気が変われば戻したり変えたりするかもしれません。それもその時々の考え・流れでやっていきたいと思います。

 と言う事で読み手の方には不親切な文章になるかと思いますが、これはどういう事だろう?と思う事があれば質問下さればお答えしたいと思います。

不安に「なってしまう」とは

物事を良し悪しや善悪を付けずニュートラルに捉えることが大切だと言いますよね。

「不安になってしまう」「不安になってしまった」と表現する時点で不安=悪い事・悪い物と捉えているという事になります。

「すぐ不安になってしまう(嫌だなあ、不安になりたくないなあ←現状の否定)」

「また不安になってしまった(何で自分はこうなんだろう、こんな自分は駄目だ←自己嫌悪・自己否定)」

と、不安にネガティブを上塗りして「不安は嫌だ」「不安は悪い事だ」と言う意識を強めてまた不安を否定してしまいます。

物事を良し悪し関係なく「そのまま」捉える。良し悪しをジャッジしないと言うのは、よく言われる「ありのまま」と言う事ですよね。

「すぐ不安になってしまう→すぐ不安になる。以上マル。

「また不安になってしまった→また不安になった。それだけ。以上マル。

そんな風に考えられたらいいですよね。そうは言ってもやっぱり不安は嫌なものなのでなかなかそうは思えませんが・・。ただ「あ、また自分不安に《なってしまった》と思ってるな!ネガティブに捉えているな!」気づけたら良いなと思います。

 

物事は自分で意味付けするから良いとか悪いとかあるんですよね。

自分に問いたい言葉と言い聞かせたい言葉 - 引き寄せの法則で心を穏やかに。

で書いたように《問題》は《問題だ》と思うから《問題》なんですもんね。

自分が《問題》だと意味付けて《問題》を作り出している。

これらも「世界は自分で作る」と言える事柄なんじゃないかなと思います。

 

 

 

数十年に一度の大型台風・大雨。

数十年に一度と言われた台風19号が過ぎて4日が経ちました。私の所は特に被害はなかったものの川の増水が少し気になるのでまだ完全に安心とは言い切れない状況ですが。

 

台風が来る事も2日前の10日まで知らず、家族と電話している時に「ヤバイ台風が来てるよ」と言われて知ったのですがあまり気にしていませんでした。

「先月のも今年最大級とか言ってなかったっけ?」とは思いましたが。ただ翌日台風と関係の無い用事でホームセンターに言った所入り口に「土嚢・養生テープ・ブルーシート・カセットコンロ・ボンベ・電池売り切れ」と張り紙がしてあって「えっ本当にそんなにヤバイの?そんな皆備えてるの?」と少し不安になりました。

「皆(他人)は備えているけど自分は備えていない」と言う事に取り残されているような不安を覚えました。オイルショックってこんな感じだったのかな、とか。(別に世代ではないのですが・・)

 

そして次の日、私の地域では夕方以降台風が激しくなる予報でしたが昼前から鳴り響く緊急速報メール、お昼頃には避難勧告が出ていましたが外の様子は激しい雨もなく風もなく「普通の雨の日」と言った印象。ただTVでは激しい雨風の様子、増水する川、倒壊する建物・・。『今』の自分の状況は違うのに、まるで「自分の所もこうなってしまうんじゃないか」と言う恐怖・焦り。

結局昼間は家にある物で避難用の道具を集め、ソワソワしたまま過ごしました。ただ一応「万が一家を出る時の為の用具」を揃えただけで家を出る気はほとんどなかったのですが。

私は家から離れた場所に「歩いて」行くのが怖いため、本当に家に居られなくなったら出る、と言うつもりでした。雨風も強くないしまだ大丈夫なのでは?と言う気持ちもありましたし。実際は雨風強くなったら逆に外出られないんですけどね。カッパも用意してなかったので・・。

 

結局、雨風が激しかったのは夜の1時間位でその後は静かになり前回の台風の方が怖かったなあと言う印象。

特に被害もなく「過剰に怖がりすぎてしまったな」と思いました。勿論結果論であり、大丈夫であったからこそそう言えるのですが

その恐怖は「こんなスゴイ台風が来るぞ!」と言う前情報とTVやネットの「やばいぞ!」「前はこんなだった!」「うちはこんな目にあった!」「大変な事になる」「各地では増水・氾濫・倒壊しています!」等の『今の自分には起こっていない』 凄惨な状況・情報から。

それらの情報は実際に起こった事であり、それから参考にしたり得る物もあると思います。何の情報もなく災害が来れば備える事も心構えも状況に応じた行動も出来ません。

ただそれらの情報は【ネガティブな話題】ばかりで、そればかり見る事で「自分もこうなってしまうんじゃないか」と過剰に不安・恐怖を煽られるのも事実だと思います。

そうなってしまう可能性があるのは事実ですがまるで「そうなる可能性が極めて高い」かのように錯覚してしまいます。

予報により危険度の高い地域の予想もあらかたつくとは思いますが、「起こるかもしれないけど、起こらないかもしれない」と言うある程度の心の余裕は持って居たいものです。どうなるかは分からないけれど、『自分の心の平穏』の為に。

 

ただ当日は緊張していたのかトイレの回数がスゴかったです。避難用具を集めている際も「アレは要るかコレは要るか」と考えていたら微熱(知恵熱?)が出ました(^^;

でも薬は飲まずに済みました。怖すぎたらガンガン薬飲んででも乗り切ろうと思ってたのですが・・。少しは自分の心のコントロールが出来るようになったのかな?と思います。

 

とは言えまだ安心しきれない状況。適度に情報を集め、けれど過度に不安は煽られないように調節していきたいと思います。