引き寄せの法則で心を穏やかに。

不安障害な私が 引き寄せの法則や潜在意識を使って改善を試みたり考えたりするブログです。

「頑張れば出来る」と言うのは

 

「頑張らないと出来ない」って事かもしれない。

 

「頑張らなくても出来る」位が

 

自分の本当の「出来る範囲」なのかもしれない。

 

うつ病の人の社会復帰までの行動の指針?

以前、ツイッターで見た「病院に置いてあった、うつ病の人の社会復帰までのアドバイス」と言うもので

「少し良くなるとアレコレやりたくなってくるけど、完全に良くなった訳ではないから無理をしてはいけない」との事で、それについては同意なのですが

「やることと、やらないことの目安」と言う部分で(ちょっと言葉を変えますが)

 

〇 やりたい

△ やったほうがいい

×  やらなければならない

 

と言うのがあって、私は「やりたい」と「やったほうがいい」の間に「やってもいい」があると思いました。

そして「やりたい」「やってもいい」は自分主体

「やったほうがいい」「やらなければならない」は周り(自分以外)主体だとと思いました。

「やりたい」の次が「やったほうがいい」なんて苦しいですよ。

 

「やりたい(やってもいい)ことだけやる」

「やりたくないことはやらない」

 

そうやって生きていきたいですね。

 

 

 

【少ない情報】に惑わされるな。

新型肺炎が流行っていますね。

海外で44歳の男性が亡くなったとニュースで見ました。

それを見た私は「怖っ!」と思いました。

比較的若く、年齢も近いほうなので「そんな年の方でも亡くなってしまう事があるんだ・・」と。

そして次の瞬間浮かぶのは「自分も危ないのでは」と言うネガティブな自動思考

 

けど今回思ったのは「年齢が近い、それだけで?」と言う事。

どんな人か分からない。

どんな生活をしてた?どんな食事をしてた?どんな仕事をしてた?どんな家庭環境で、性格や、考え方や、普段のストレスは?

そんな他の状況が何も分からない中「年齢が近い」だけの情報で自分に重ね合わせるのは早計ではないかと。

 

実際の所は分からないし、自分だけは絶対大丈夫!と思う訳ではないけれど、ネガティブの種を過剰に拾う事はやめていこうと思います。

今日は節分。悪いものを払い、良いものを呼び込めるといいですね(^v^)

今年のテーマ『許す』について

私が今年のテーマとして掲げた『許す』についてですが 

 

よく引き寄せやスピリチュアルで言われる『受け入れる・認める・手放す・許す・許容する』等の言葉。(『受け入れる・認める』辺りは心理学や心の病の話でもよく聞くかと思います)

私は現在、これらの言葉はほぼ同義語だと感じています。『受け入れる』と『手放す』についてはINとOUTなのでどっちなの?と思うかもしれませんが私が現在定義している感じとしては

 

・(善悪等ジャッジしたり意味付けしたりせずただ「そっくりそのまま」)受け入れる

・(同上「そっくりそのまま」)認める

・(執着・抵抗を)手放す

・(善悪等ジャッジしたり意味付けしたりせず「そのままである事・そのままの状態である事」を)許す

・(同上「そのままである事・そのままの状態である事」を)許容する

 

「同義語」と言っているので今年のテーマが『受け入れる・認める・手放す』でも良いのですが、私は現在『許す・許容する』の言葉が一番しっくり来るのでそうしています。

気づきを得ました。を書いていた去年の6月頃は「執着を手放す」をしようとしていて、件のスピリチュアルカウンセラーに「手放す事」についてどうすれば良いのかよく聞いていました。

エイブラハムの瞑想では「抵抗を手放す」と言う言葉が出てきますが、執着とは「こうでなければならない」と言う事、不安障害で言うなら「治さなければならない」「今の(病気の)ままではいけない」と言う事、「今の状態はいけない」とは「今の状態に抵抗している」と言う事、「抵抗している」と言う事は「今の状態を受け入れていない、認めていない」と言う事。かと思います。

とは言え「よし手放そう!」「受け入れよう!」「認めよう!」「許容しよう!」と言った所で「ハイ出来ました!」とはならない訳で

実際「執着を手放す」をしようとしていた私は、「執着を手放そう」「執着を手放さないと良くならないんだ」「執着を手放すってどうしたらいいの??」と【執着を手放す事に執着】していると言う何が何だか状態でした。

いつから「手放す」から「許す」にシフトしていったのかは覚えてませんが「物事をジャッジしない、ニュートラルに捉える」と言う事が少し染み込み始めた頃でしょうか。

「ジャッジしない」と言うのはHAPPYさんもよく言っていた事ですが「ニュートラルに捉える」と言うのは三凛さとしさんがよく言っている事で「何事にも良い面と悪い面があり、全ては中立である」と言った感じです。三凛さんが言うには「ポジティブに思える物事にもネガティブな側面があり、また、ネガティブに思える物事にもポジティブな側面(恩恵など)がある」との事ですが、私は現時点ではポジティブな物事にネガティブな側面を探したり、ネガティブな物事に「感謝出来る事は何か」等のポジティブな側面を見出したりしようとはしてません。

ただ何となく「中立なんだなー」「良いも悪いもないんだな」と思っています。以前何かの記事に書きましたが、意味づけするから良いとか悪いとか思う(ジャッジする)んですもんね。

ちなみに私のテーマの「許す」と言うのは「自分の行動や考える事(そうで在る事)をそのまま許す(認める・受け入れる)と言う意味で、他人のイラッと行動を許すとか、過去にあった嫌な出来事を許すと言う事は意識してません。

とりあえず『今』は、自分の出来事、思う事をそっくりそっくりそのまま『許す』。と言う練習をしていこうと思ってます。

 

 

 

 

今年のテーマは『許す』事。

私は今年のテーマとして『許す』『許容する』を意識していきたいと思います。

 

その『許す』とは他人を許すと言ったものではなく

『受け入れる・認める・許容する』と言った『許す』です。

詳しくはまたぼちぼち書いていけたらと思います。

 

 

「とにかくやってみろ」と言われても

不安障害関連ではないのですが、あるスピリチュアルYouTuberさんが

「こうすると良いですよ、と言っても「でも不安なんです」と言ってくる人が居る。まずは実践してから言ってくれ」と言っていたのですが、それって不安な人の気持ちを汲んでないよなあと思いました。

自分が不安でぐじぐじ動けないタイプだからそう思うのでしょうが、それが出来たら苦労しないと言うかそう出来ないから悩んでいると言うか。

それで悩んで心を疲弊して相談に行くのにそう言われたら八方塞だと思うんです。

「まずはこのバンジージャンプを飛んでみて」と言われてポンと飛べないですよね。その勇気が無いから、その勇気を出す為の方法を知りたいのに「まずは飛ばなきゃ話にならない」と言われたらどうしようもないと思うんです。

けど「人を助けようとする事をやめる」と言う事 で書いたような「助けて欲しい」需要と「助けてあげる」供給の差異なのかなとも思います。

「助けて欲しい」人は10の助けを求めているけど、「助けてあげる」人の言う「助ける」は6しかないような。確かに「助けて欲しい」人の需要を際限なく供給してあげる義務はないのですが・・。

 「人を助けようとする事をやめる」と言う事 で「自分は他人に求めすぎていたんだな、何とかして貰えると思っていたんだな」と書きましたが、まだ不安や心の痛みがあり、助けて欲しい気持ちの抜けきらない私はこういう人達を「冷たい」と感じてしまうんですよね。勿論この人達が悪いとは思わないのですが・・。

私もそっち側に行ったらこの人達の気持ちが分かるのでしょうか。そして、分かった時には私も「つべこべ言わずに行動しろ」と言うスタンスになるのでしょうか。

 

それらも、分かったり考えが変わったりする事があればまた書いていきたいと思います。

 

 

 

 

私の『スピリチュアルを信じている』とは

私の言う「スピリチュアルを信じている」と言うのは

「スピリチュアルな力が何とかしてくれるんだ~☆」ではなく

「スピリチュアルな考え方を使って現実を良くして行こう」と言う事です。

『力』ではなく『考え方』を信じています。

そしてそれは『スピリチュアル』でなくても全然構わないんです。正直、哲学だろうと心理学だろうと物理学だろうと『自分らしく、より良く生きるための方法』って、結局みんな同じ事を言っているんだなと感じます。

途中は違う事を言っていたり時には真逆の事を言っていたりするけど、最終的な目的はみんな同じなんだと思います。

なのでその過程が「私は哲学からこう学んだ」でも「私は心理学でこう学んだ」でもどれでもいいと思います。最後に自分がHAPPYになれればそれでいいんです。

私はただ、その考えを理解するのにスピリチュアルの考え方がしっくり来たのでスピリチュアルを引き合いに出してるだけなんです。

 

最終的にポジティブシンキングと言うか物事の捉え方と言うか、

「コップに水が半分しかない」を

「コップに水が半分もある」

ナチュラルに捉えられるようになったら勝ち!なんじゃないかと思ってます。