引き寄せの法則で心を穏やかに。

不安障害な私が 引き寄せの法則や潜在意識を使って改善を試みたり考えたりするブログです。

感情の先取り

よく引き寄せの法則(宇宙の法則)で「感情の先取りをしましょう」と言いますよね。

 

幸せになりたいなら『今』幸せ(な気分)になる。

病を治したいなら、病が治って嬉しい!幸せ!な気分を『今』味わう。

 

そうは言うけど難しい。

「『今』幸せを味わえって言われても『今』幸せじゃないもん」

「『今』病が治った時の気分を味わえって言われても『今』治ってないもん、なってもない事は想像出来ないよ」

そう思いませんか?リアルに想像しろと言われても出来ない。

 

けど『良くなる』事は想像出来ないのに、『悪くなる』事は容易に想像出来ませんか?

「外に行って、不安になって、息が出来なくなって、パニックになって、倒れて、周りに白い目で見られて・・」等、私はありありと想像出来てしまいます。けどそんな状況になった事は一度もありません。なのにその状況をリアルに想像でき、「その時の嫌な感情」を今、味わう事は出来てしまうんですよね。

 

と言う事は『今、なってもいない状況』の感情を先取りするのは可能だと言う事。

ネガティブな事ばかり想像出来てポジティブな事は想像出来ないと言うのは思考のクセ。そしてポジティブな想像をすると「いやそんな上手くいくかなあ?」「上手くいかなかったらどうするの?」と野次を飛ばしてくるのはエゴの声。

ネガティブな想像に慣れているだけで、ポジティブな想像に慣れていないだけ。

だんだんポジティブな想像にも慣れて、『ポジティブな感情の先取り』が上達したらいいですよね(*^^*)

 

 

 

「頑張れば出来る」と言うのは

 

「頑張らないと出来ない」って事かもしれない。

 

「頑張らなくても出来る」位が

 

自分の本当の「出来る範囲」なのかもしれない。

 

スピリチュアルを否定する友人。

以前スピリチュアルカウンセラーの人に怒られて残念な事がありました。と言う記事を書いた頃、こういうことがあった~と友人(私の不安障害の事を知ってて、その人自身も精神安定剤を飲んでいる)に話した所

「スピリチュアルなんて何の意味も無い。そんなことしてないで病院で薬もらって社会復帰を目指せ」と言われました。

(スピリチュアルと言っても「不思議な力が何とかしてくれるんだよ~」みたいのじゃなくて・・と説明しましたが、聞く耳持たない感じだったのでそれ以上は言いませんでした)

 

先日ふと気になって「何でスピリチュアルに否定的なのか」と訊いてみた所「そういうのにハマりやすい、メンタルや頭の弱い人を狙った詐欺だから」と言われました。

最初はその断定的な物言いにちょっとイラッとしたものの、話をしている中で「墓参りも行かない(霊とかも信じないから)、そもそも神様なんかが万一居るなら殴ってやりたい位だ、この世の不平等に」と言うので、そこで私は「ああ、そもそも『神様』というものに対する認識・定義が自分と違うんだな」と思いました。

その人は複雑な家庭環境で育って、あまり「幸せそう」と言える様な人生を送って来てはいない人で、きっと彼女の中で『神様』と表現するものは、『皆を守り、平等や幸せを与えてくれるもの』なのでしょう。なのに、それが居るなら、もっと世界や人生は良くあるはずで、もっと救われるはずなのに、そうならないから「そんなものが居るはずがない」となったんだと思います。

私もたまに『神様』や『宇宙の力』と表現しますが、それらが実際に在るかどうかは分かりません。だって見えも聞こえもしないので。ただ『確実に在る』とも『確実に無い』とも証明出来ないけど、私的には「多分在るんだろうな~」とぼんやり思ってる感じです。そしてそれは『皆を守り、平等や幸せを与えてくれるもの』と言う定義でもありません。

『神様』『スピリチュアル』等と一口に言っても、それらが表現する、またそれらに抱く感覚、位置付け、定義等は全くの別物だったりする。

私の表現、また感覚は彼女には分からないし、仮にそれを共有しようとしたとしても、彼女には彼女なりの感覚、考え、定義があるのですり合わせられないし、すり合わせる必要もないのでしょう。

ハンバーグをおいしいと思う人と、ハンバーグをおいしくないと思う人が、『ハンバーグ』に対する認識・感覚を合わせる必要はないですもんね。

 

うつ病の人の社会復帰までの行動の指針?

以前、ツイッターで見た「病院に置いてあった、うつ病の人の社会復帰までのアドバイス」と言うもので

「少し良くなるとアレコレやりたくなってくるけど、完全に良くなった訳ではないから無理をしてはいけない」との事で、それについては同意なのですが

「やることと、やらないことの目安」と言う部分で(ちょっと言葉を変えますが)

 

〇 やりたい

△ やったほうがいい

×  やらなければならない

 

と言うのがあって、私は「やりたい」と「やったほうがいい」の間に「やってもいい」があると思いました。

そして「やりたい」「やってもいい」は自分主体

「やったほうがいい」「やらなければならない」は周り(自分以外)主体だとと思いました。

「やりたい」の次が「やったほうがいい」なんて苦しいですよ。

 

「やりたい(やってもいい)ことだけやる」

「やりたくないことはやらない」

 

そうやって生きていきたいですね。

 

 

 

【少ない情報】に惑わされるな。

新型肺炎が流行っていますね。

海外で44歳の男性が亡くなったとニュースで見ました。

それを見た私は「怖っ!」と思いました。

比較的若く、年齢も近いほうなので「そんな年の方でも亡くなってしまう事があるんだ・・」と。

そして次の瞬間浮かぶのは「自分も危ないのでは」と言うネガティブな自動思考

 

けど今回思ったのは「年齢が近い、それだけで?」と言う事。

どんな人か分からない。

どんな生活をしてた?どんな食事をしてた?どんな仕事をしてた?どんな家庭環境で、性格や、考え方や、普段のストレスは?

そんな他の状況が何も分からない中「年齢が近い」だけの情報で自分に重ね合わせるのは早計ではないかと。

 

実際の所は分からないし、自分だけは絶対大丈夫!と思う訳ではないけれど、ネガティブの種を過剰に拾う事はやめていこうと思います。

今日は節分。悪いものを払い、良いものを呼び込めるといいですね(^v^)

今年のテーマ『許す』について

私が今年のテーマとして掲げた『許す』についてですが 

 

よく引き寄せやスピリチュアルで言われる『受け入れる・認める・手放す・許す・許容する』等の言葉。(『受け入れる・認める』辺りは心理学や心の病の話でもよく聞くかと思います)

私は現在、これらの言葉はほぼ同義語だと感じています。『受け入れる』と『手放す』についてはINとOUTなのでどっちなの?と思うかもしれませんが私が現在定義している感じとしては

 

・(善悪等ジャッジしたり意味付けしたりせずただ「そっくりそのまま」)受け入れる

・(同上「そっくりそのまま」)認める

・(執着・抵抗を)手放す

・(善悪等ジャッジしたり意味付けしたりせず「そのままである事・そのままの状態である事」を)許す

・(同上「そのままである事・そのままの状態である事」を)許容する

 

「同義語」と言っているので今年のテーマが『受け入れる・認める・手放す』でも良いのですが、私は現在『許す・許容する』の言葉が一番しっくり来るのでそうしています。

気づきを得ました。を書いていた去年の6月頃は「執着を手放す」をしようとしていて、件のスピリチュアルカウンセラーに「手放す事」についてどうすれば良いのかよく聞いていました。

エイブラハムの瞑想では「抵抗を手放す」と言う言葉が出てきますが、執着とは「こうでなければならない」と言う事、不安障害で言うなら「治さなければならない」「今の(病気の)ままではいけない」と言う事、「今の状態はいけない」とは「今の状態に抵抗している」と言う事、「抵抗している」と言う事は「今の状態を受け入れていない、認めていない」と言う事。かと思います。

とは言え「よし手放そう!」「受け入れよう!」「認めよう!」「許容しよう!」と言った所で「ハイ出来ました!」とはならない訳で

実際「執着を手放す」をしようとしていた私は、「執着を手放そう」「執着を手放さないと良くならないんだ」「執着を手放すってどうしたらいいの??」と【執着を手放す事に執着】していると言う何が何だか状態でした。

いつから「手放す」から「許す」にシフトしていったのかは覚えてませんが「物事をジャッジしない、ニュートラルに捉える」と言う事が少し染み込み始めた頃でしょうか。

「ジャッジしない」と言うのはHAPPYさんもよく言っていた事ですが「ニュートラルに捉える」と言うのは三凛さとしさんがよく言っている事で「何事にも良い面と悪い面があり、全ては中立である」と言った感じです。三凛さんが言うには「ポジティブに思える物事にもネガティブな側面があり、また、ネガティブに思える物事にもポジティブな側面(恩恵など)がある」との事ですが、私は現時点ではポジティブな物事にネガティブな側面を探したり、ネガティブな物事に「感謝出来る事は何か」等のポジティブな側面を見出したりしようとはしてません。

ただ何となく「中立なんだなー」「良いも悪いもないんだな」と思っています。以前何かの記事に書きましたが、意味づけするから良いとか悪いとか思う(ジャッジする)んですもんね。

ちなみに私のテーマの「許す」と言うのは「自分の行動や考える事(そうで在る事)をそのまま許す(認める・受け入れる)と言う意味で、他人のイラッと行動を許すとか、過去にあった嫌な出来事を許すと言う事は意識してません。

とりあえず『今』は、自分の出来事、思う事をそっくりそっくりそのまま『許す』。と言う練習をしていこうと思ってます。

 

 

 

 

今年のテーマは『許す』事。

私は今年のテーマとして『許す』『許容する』を意識していきたいと思います。

 

その『許す』とは他人を許すと言ったものではなく

『受け入れる・認める・許容する』と言った『許す』です。

詳しくはまたぼちぼち書いていけたらと思います。