引き寄せの法則で心を穏やかに。

不安障害な私が 引き寄せの法則や潜在意識を使って改善を試みたり考えたりするブログです。

『自由に過ごす』とは

好きな時間に起きて眠たくなったら眠る、そんな生活がしたいなあ
(でも規則正しく寝起きしないと体内時計が狂って自律神経が乱れるよ、日中の陽を浴びないとセロトニンが出ないしメラトニンも出なくて夜眠れないよ、夜眠らないと美容にも悪いよ)

好きな時間に好きな物を食べれたらいいなあ
(でも毎食決まった時間に食べないとリズムが崩れるよ、バランス良く食べないと体に悪いよ、間食は良くないよ)

寝る前だけどお腹が空いたな
(今食べたら太るよ、消化に悪いよ、寝酒は睡眠の質を落とすよ)

()内は思考の声です。食べ物や生活リズムに限った事ではないですが、普段から良い・悪い別にしてただ単純に「こうしたいな、こうだったらいいな」と言う気持ちを
「そんなの駄目だよ、常識的に言ったらこうだよ」と正論でねじ伏せてきます。
それは正しい事を言ってるのかもしれないけど、窮屈で、《常識》と言う枠の中に押し込めようとしてくる。『自分の気持ち』を殺して。

HAPPYさん(現さちまるさん)が以前「週3で焼肉屋に行く」「週3でラーメン中本に行く」「夜中にアイス2個食べる」「牛丼や丸亀のうどんが好き」等と言っていました。
HAPPYさんのお友達も「10年以上我慢してたコーラをガブガブ飲むようになったら肌がキレイになった」と言っていました。

それはこれらの食品が『体にいい』と言う訳ではないけれど、「自分のしたいように、好きなようにやる」と言う事が、結果として良い方向になっているのだと思います。
だからと言って「じゃあ好きな物好きに食べてもいいんだ!」とバクバク食べたり、不規則な生活をしても《必ず良い結果になる》という事ではなく
好きな事をしよう、としても心の奥底で(本当に大丈夫かな?)(こうすれば上手くいくんだよね??)と疑心暗鬼だったらきっと上手くいかないし、仮に心の底から信じてたとしても良くない結果になる事もあると思います。
そこで「上手くいかないじゃないかウソツキ!」や「こんな結果になるなんて、やらなければ良かった、最悪だ」と思うのならやはり心の土台が出来てなかったんだと思います。

HAPPYさん達は、宇宙を信頼し「自分の好きなようにやる」と決め、それでいて不利益が起こっても「それすらも受け止める」と言う覚悟をしているから物事が良い方向に行くのだと思います。
結局「腹立つ事も嫌な事も全くなく、良い事・楽しい事だけが起こる人生」と言うのは無くて
嫌な事もあるし上手くいかない事もあるけど、それらも受け入れて自分で受け止め方を転換して嫌な事も「ただの嫌な出来事」ではなく「意義の在る事」に変えていく。そう言った意味で『世界は自分で作る』なのかなと思います。

好きな事をやる、自由に過ごす。それは「それで良い事が起こっても悪い事が起こっても受け入れる、責任を取る覚悟」なんだなと思います。

その『覚悟』がまだ決まらない私ですが。「思考の声」「常識」に囚われるのをやめて『自分の心の声』を大切に生きていけるようにしたいですね。

じゃあどうすればいいのか

 いっそ「諦めてしまう」と言う手。

そうは思っても、「じゃあ諦めるってどうやったらいいの?」

「許容するってどうしたらいいの?」

「手放すって、どう手放したらいいの?」

って感じですよね。

分かった諦めるよ!許容するよ!手放すよ!で出来たら誰も苦労しませんし。

それに「本当にそれでいいのだろうか」「もっとこうした方がいいんじゃないか」「駄目だったらどうしよう」「やはり努力して行動するべきなんじゃないか」と、【今まで信じてきた常識・定説】が頭をチラついて結局踏み切れない。

頭ではこうしたらいいんじゃないか、きっとこうしたら良くなると思うものの「もし駄目だったら」と思うと怖い。

 現実と引き寄せの法則、相反する2つの間でどっちつかずにうろうろしている私です。

 「覚悟を決める」それが必要なんでしょうね。

 

いっそ「諦めてしまう」と言う手。

諦めてしまう

許容してしまう

許してしまう

「それでもいいよ」って。

 

頑張らなきゃって

良くならなきゃって

「今の状態では駄目だ」と肯定しているようなもの。

 

「今」を否定しておいて、こうじゃないああじゃない、もっとああしなきゃ、こうしなきゃって焦りで行動して上手く行く事なんかあるだろうか?

 

いっそ「もういいや、頑張らなくていいや」って諦め、許容、手放したら、ホッと肩の力が抜けて、考え方は後ろ向きでもエネルギーは前向きになるんじゃないか?

 

自分をずっと許していないから、ずっとこの状態なのではないだろうか。

腰を痛めています。


腰を痛めて約1週間、ほぼ寝て過ごしていました。
座っていると痛い、前かがみになると痛い、ずっと立っていても痛いのでこの1週間は家事もほぼ出来ず、この季節にお風呂にも4日入らず(お風呂場で動けなくなっても嫌だったので)食事とトイレ以外は横になっていました。
食事をしててもずっと痛いのが気になるしトイレの後手を洗うだけでも一苦労。立ち上がるにも床や壁に手をついて立ち、寝返りや体勢変えるのも痛いのでゆっくり気をつけながら動いて・・。

今日やっと、何とか座って居られるようになったのでこれを書いています。今もまだ痛みはあるのですが昨日までよりはマシなので。
以前も同じような感じで腰を痛めた事はあるのですがその時は2~3日寝ていればその後は起き上がれる程度に治っていたので、今回の様に6日間ほぼ同じ痛みが続くのは初めてで「これ治るのかな?」と心配になりました。実際まだ治ってはいないのですが。

ただここで思うのが「当たり前の様に立ったり、座ったり、作業をしたり出来る事」の有り難みです。

普段、自分は「他の人が当たり前にやっている事(普通に外を歩いたり、普通に電車に乗ったり、普通に外食したり、普通に美容院に行ったり)」が出来なくて、「何で他の人が『当たり前』に出来る事が自分には出来ないんだろう」と思っていますが、
自分にも「当たり前に出来る」事がある事。

自分に『ある』ものを見ず、自分に『ない』ものばかり見ては不満がっている事。

「失って初めて気づく」なんて言いますが、今、失っている最中だから「いつも当たり前に出来ている事」の有り難みに気付くんですよね。『当たり前』が『当たり前』じゃなくなった時、それは『当たり前』ではなかった事に気付く。

けれど、腰が完全に治ったらまたこの『当たり前』は『当たり前』になってしまうのでしょう。
外に普通に出れていた頃、外に出れる事は『当たり前』でした。そうやって人は『今、あるもの』の大切さに気付かないんだろうなと思います。「『今』に満足する」なんて、引き寄せの法則でも言いますが。他の方のブログで読んだ『足るを知る』もこういう事なんじゃないかなと思います。

この記事を残しておく事で、また『当たり前』になり、自分に『ある』ものを見ず 自分に『ない』ものばかり見てしまうようになったら、この事を少しでも思い出せる、留意出来るようにしたいなと思います。

自分に問いたい言葉と言い聞かせたい言葉

自分に問いたい言葉

「それって『本当』に必要?」

言い聞かせたい言葉

『「出来ない事」が問題なのではなく、出来ない事を「問題だ」と「思う事」が「問題」だ。』

 

いよいよ夏本番。

8月になりました。

ついに梅雨も明け、いよいよ夏本番と言った感じですね。
今年は7月が比較的過ごしやすい日が多く助かりました。去年も9月以降は比較的楽だった記憶があるので今年もそうだといいな~と思っています。
本来夏は決して嫌いではないのですが、暑さで外に出られない今は、短めであってほしいなと思っています。

今回で体調を崩して3度目の夏になります。正確には体調を崩して2年半ちょっとなので3年前の夏はまだ外を動けていました。
3年前は夏に隣県位なら旅行も出来ていたのですが。旅行地と言う家から離れた場所で、昼間1時間位歩いていても平気だったのですが。
今は30度を超えた昼間は5分と外に出れません。近くのスーパーに行くのも18時近くになってやっとと言う感じです。
それでも「前は出来たのに!」「前は〇〇に行けたのに!」と言う思いはあまり感じなくなりました。勿論、そういう思いにワーッと苛まれる事もありますが以前よりは減ったんじゃないかと思います。
前の事、出来ていた時の事はあまり考えず「暑いんだから仕方ないよね~」「暑い時に無理して出る事ないよね~」と思っています。

状況は変わらなくても、せめて焦らずに、出来るだけ楽観的であれたらいいなと思います(*^^*)

天上天下唯我独尊。

自己肯定感を上げる方法として、鏡を見ながら「天上天下唯我独尊」と唱えると良い、と言う動画を見ました。
天上天下唯我独尊とは、その人が言うには「天上(天界・高次)にも天下(地上界)にも唯我(ただ一つの我)独(独創の独、ただ一つ)尊(尊い)」で
「私と言う存在はただ一つ、とても希少で、素晴らしい、尊い存在です」と言う事らしいです。
調べてみると他の意味が出てくるのでこれはこの人なりの解釈なのかも知れませんが、意味が正しいかどうかと言う事は重要ではなく、考え方としてなるほどなと思いました。
自分の事を考える時に「私は唯一で、とても希少で素晴らしい尊い存在だ」と思うのは長いしややこしいと思うので、この意味を込めて「天上天下唯我独尊」と思う、もしくはこの言葉を聞いた時にその意味を思い出し我に立ち返る、と言うのはいいんじゃないかと思います。

加えて、仕事上の立場など「代わりは居ない、自分が出来なくなったらどうする」的な考え方についても
「仕事上の立場は替えが利くけど、『自分』と言う存在は替えが利かない。あなたが誰かの娘・息子であったり、誰かの父親・母親であったり、誰かの妻・夫であったり、誰かの兄弟、姉妹、孫、祖父母etc・・である事は決して替えは利かないと言った事を聞いた事があります。

かと言って「母親はあなたしか居ないんだから頑張りなさいよ!!」と言う意味ではなく「あなたにとって大切な人の、大切なあなただから、そのあなたを大切にしてあげてね」と言う事だと思います。
仕事で必要なのは「(この仕事の出来る)あなた(と言う存在)」であって『あなた自身と言う存在』ではないですからね。

あと女性へのセクハラ(行動・発言等)には厳しいけど男性には多少何か言っても大丈夫と言った風潮も、「男性だから大丈夫」とか「男なのに〇〇だね」とか

《男性・女性》とカテゴライズせずに《一人の人間》として捉えたら、「あるご家庭で大切に育てられた大切なお子さん」に対して、軽率な発言や行動なんて出来ないんじゃないかなあと思います。

誰もが皆、たった一人の大切な存在。そうやって他人も、自分も、大切に出来る心を持てたらいいなと思います。

そんな訳で「天上天下唯我独尊」、時々思い出していきたい言葉だと思います。