引き寄せの法則で心を穏やかに。

不安障害な私が 引き寄せの法則や潜在意識を使って改善を試みたり考えたりするブログです。

『思考』は本当の自分ではない?

「思考は本当の自分ではない」と言うお話を最近聞きました。エックハルト・トールと言う人が唱えている事の様です(この人が先駆者と言う訳ではないようですが)

 

思考は自分ではない?じゃあ脳みそは何の為にあるの??と思ってしまうところですが、『本当の自分』、つまり引き寄せや宇宙の法則等でよく言われる『大いなる全て』に当たる部分ではない。と言う事の様です。

 

確かに思考は【人間的な、現実的な物の見方】だとは思います。

よく言われる「今、ここ」だとか「過去や未来はない、『今』しかない」(逆に過去も未来も『今』同時に在るとも言いますが)と言うのも、疑問がない訳ではないですが概ね理解出来ます。

 

思考の話に戻ると、『今』に居ないと不安になる。過去を悔やんだり未来を考えて不安になったり悲しくなったり。

その【考】える事が正に【思考】ですよね。

『今』ではない過去や未来を【思考】して不安がっている。

【不安】を【思考】で自ら作り上げている。

そう言った意味で「思考は本当の自分ではない」と言うのは理解できる気がします。

じゃあ思考はどこから来るのか?記憶・観念・周りからの情報etc・・やはり【人間的な、現実的な物の見方】が【思考】なのではないでしょうか。

 

思考以外では『意識』や『感情』があります。食べ物を食べて「おいしい!」と思うことや音楽を聴いて心に響く事は『感覚』であり【思考】ではないですよね。

「この食べ物はグルタミン酸と○○の成分が混ざり合う事により脳がおいしいと認識する組み合わせだから「おいしい」と感じるはずだ」とか考えて「おいしい」を認識する訳ではないですよね。

前者と後者なら前者の方が『本当の自分』と思えるのではないでしょうか。

 

思考は全部ウソの自分!とまではいかないと思いますが、「過去あんな事があった・・思い出しても悔しい、悲しい」とか「この先あんな事になったら、こんな事になったどうしよう」とくよくよしてしまう時「思考は本当の自分ではないんだ、どこかから、経験から引っ張り出してきてしまっただけなんだ」と思えたら少し断ち切れるんじゃないかな、と思います。

(そんな事言っても過去にあった事は事実で・・と思うかも知れませんが、その過去は実際にあったとしても『今』は『ない』ので。今無いものを自分で【思考】して作り出し、わざわざ嫌な事を追体験しているのは自分なので、その【思考】を止められたら良いのではないかと思います。)

 

忘れていない事。

 前回の記事

ホワイトエンジンとブラックエンジン - 引き寄せの法則で心を穏やかに。

 で電車に乗る事について書きましたが実は去年、電車で6駅、乗り換えて1駅の以前よく行っていた駅に降り立つ事がありました。(いつもは行けても2~3駅程度)

 

その場所に行けたのは1年以上ぶり、さぞ「わあ!久しぶりに来れた!!」と感動するかと思いきや「あれ?ついこの間も来たんじゃない?」と言った感じで。

 

見慣れた景色、数日前にも来てたかのような「当たり前」と言った感覚

 

その時私は「今見えないものも『今』は見えなくなってるだけで、自分の中から消えた訳じゃないんだな。本当は今も自分の中にあるんだな」と思いました。

 

以前「当たり前」に出来ていた事が今は当たり前じゃなくても、きっとまた思い出した際には「当たり前」になってくれる事でしょう。

 

その時を焦らず待ちたいと思います。

 

ホワイトエンジンとブラックエンジン

ホワイトエンジンとブラックエンジンと言うものがあります。

ホワイトエンジンは喜び・ワクワク・純粋にただやってみたい!前向きな動機から来るもの(感謝や貢献、信頼から~ともありますが私の解釈&引き寄せ的に言うとこうかなと思います)

ブラックエンジンは不安・恐怖・焦り・危機感などのネガティブな感情を動機にしたもの。「これが出来なかったら大変な事になる」「これを失くしたらもう終わりだ」等、出来なかったら・・ダメだったら・・そうなったら嫌だから、怖いから、そうならないように行動する。

きっとブラックエンジンで動く人の方が多いんじゃないかと思いますが、私たちのように不安から来る精神障害の人は特にこの傾向が強いんじゃないかなと思います。

 

私は電車に乗れなくなる前、どんどん乗れる(行ける)場所が少なくなる中でも乗らなきでゃ!このまま乗らなくなったらもっと乗れなくなってしまう!と言う、正にブラックエンジンで動いていました。

けどそれで「恐怖から行動した結果、電車に乗れる事を維持」は出来なかったです。恐怖はただ大きくなり「もう電車に乗りたくない!怖い!」と思う出来事にぶち当たりその時は完全に乗れなくなりました。

その数ヵ月後また電車に乗る練習を始め、3ヶ月程毎週乗る練習をしていました。乗れた時、出来た時は確かに嬉しいのですが、続けていくうちに「今週は乗れた!・・来週は乗れるだろうか?」「この【毎週乗る】サイクルを崩してはいけない」「このサイクルを崩したらまた乗れなくなるのではないか」と「~しないと出来なくなるんじゃないか、悪い事が起こるんじゃないか」と言うブラックエンジンにまた陥ってしまいました。

「電車に乗れている」と「電車に乗れていない」では現実・事実としては前者の方が進んでいるように見えるけれど、その後にこのような恐怖、不安、ストレスが掛かるのならば精神的にむしろマイナスなのではないかなと思い、「毎週電車に乗る」と言う自分ルールはやめました。

やめる時も、本当にいいのかな?「電車に乗れている」と言う事実はあるのだから続けていた方がいいんじゃないかな?とは思いましたが、現実で推奨されている【行動ありき!】よりも『今の心の状態』を取ったのです。

今は気が向いた時、2~3ヵ月に1度位のペースで乗っています。気が向かなければ3ヵ月以上乗らない事も。けどそれで「毎週乗ってた頃」と「2~3ヵ月に1度の今」では特に変わりはありません。「久々だから緊張!」も特にないし逆に「毎週乗ってる方が慣れて楽だった」もありません。乗る回数は確かに減ったけれど毎週「来週は乗れるかな?」とギュっと硬くなってるよりは精神的負担は減ったと思います。

ブラックエンジンで動く事が必ずしも悪い結果を生む訳ではないとは思いますが、引き寄せ的に言う「良い気分・ホッとする」とブラックエンジンで動く事は真逆な行動かなあと思います。

 

この記事が「自分の行動はブラックエンジンで動きすぎてないかな?」と考えるキッカケになってもらえたら嬉しいなと思います。

グルグル

「他人を助けたい」なんて思う前に一番救わなきゃいけないのは自分なのに、自分も救えていないのに他人を助けたいなんて飛び級みたいな事、おこがましいとは思わないか

けど誰より先に自分を助けたいなんて、自分の事しか考えていなくておこがましいとは思わないか

自分が幸せになれば他人も幸せに出来るなんて、自分が幸せになりたいだけの言い訳ではないか

けど自分が満たされていない人間に他人に幸せを振りまく事なんて出来るのか

自分が愛を持っているからこそその愛を周りにも振りまく事ができるのではないか。

グルグルグルグル、堂々巡り。

最近の状況

気づけば4ヵ月経っていました;

前回の記事を読み直したら「来週嫌なイベントがある」と書いてありましたが「そんなものあったっけ?」と何の事だか思い出せないでいます。起こる前や当時は嫌だと思う事でも、過ぎ去ってしまえば取るに足りない事なのかも知れませんね。

現在の状況としてはやはり相変わらずです。特に悪くなる事もなければ目に見えて良くなる事もなく・・。ただ「目に見えて良くなる」事を求める事が焦りに繋がるのかなあとも思います。日々観察し、変化があるか、良くなっているかに張り付くことが余計その機を遠ざけているのではないか。

サンタさんは眠っている間にプレゼントを持ってきてくれますが、その瞬間を見てやろうと何時間も起きてる間は現れてはくれない。そんなものなのかも知れません。

私はこのブログで、良くなっていく瞬間の「こうしたら良くなりました!」「これがすごく効きました!」をお伝えしたいと思っていましたが、そんな劇的な瞬間を捕えようとする事がそもそもの間違いなのかなと思います。

なのでそのような事をお伝えする事は出来ないかと思いますが(万一図らずにそのような状況が起きればお伝えしますが)ゆるゆるやっていけたらと思います。

本当はその瞬間を見てやりたいと思っていましたが、それは私が一度回復したのにまた同じような状況に陥ってしまった事で「またなってもこうしたらいい」と言うデータを取っておきたかったからです。以前回復した時、どんな行動をしてどんな考え方をしていたのかいまいち覚えていないのです。またこのような状態になるとは思っていなくて・・前はどんな風に治しただろう?ちゃんと書き記しておけば良かった!と後悔しているからです。

ただ覚えているのは今よりひどい状態だったのに今より早く回復してる事。そして当時は「早く治ろう!」なんて思っていなかった事です。

当時はそんな普通の生活に戻れるなんて思ってもいなかったし、ただ今の辛い状態よりは少しでもマシになればいい位に思っていた気がします。

今は「早くあの頃の、普通の生活に戻れないか」ばかりに囚われている気がします。それが余計に焦りを生むのでしょうね。

と、理屈では分かっていても気持ちが追いついていかない部分は多々ありますが・・。

特に良くも悪くもなっていない状況で、行動範囲も去年の今頃とほぼ変わっていない(広がっていない)ですが、飲む頓服の回数や量は減っているのでそういう意味では多少良くなっていると言えるかもしれません。

ただ「今の状態を維持し薬を減らす事」と「薬を飲んででも行動範囲や出来る事を増やす」のではどちらがいいのか・・とずーっと悩んでるテーマではあります。

それらについても考えが決まったら、または悩んでる様子をダラダラと書き連ねるかもしれません。その時は現在進行形ドキュメンタリーだと思って見て頂けたらいいなと思います。

最近の状況

ご無沙汰しています。

 

今年は残暑をほとんど感じず、ここ1~2ヵ月はだいぶ過ごしやすい日が多かったですね。

暑い時期はあまり家から離れられず近くのスーパー(自転車で5分弱)に行くにも薬を飲まないと不安な状況でしたが、最近は薬なしでも以前行けた場所(自転車で20分前後)辺りは行ける程度に戻りました(^-^)

以前書いたように暑さが収まればまた行けるだろうとは思っていましたが、それでも確証はないので「暑さが収まっても行動範囲が狭くなってたらどうしよう」と言う不安もありましたが無事杞憂に終わりました(^^;)

 

最近の状態としては、悪くもなく特に良くもなくと言った所です。そんなに問題はないけど進歩してる訳でもなく・・。

去年の予想としては、今頃は多少電車のも慣れ、電車とバスを乗り継いで1時間ほどの実家位は行き来できている・・はずでしたが実家はおろか電車にもあまり慣れていません。

そう思うとあまり進歩してないなorzと思わなくはないですが焦っても仕方がないので地道にやっていきたいと思ってます。(もちろん焦る気持ちがない訳ではないですが、焦っても余計精神的負担になるだけなのであまり考えないようにしてます)

 

ただ、今困ってる事としては普通に生活している時はそこまで問題ないけれど、何か思いがけない出来事が起こった時に対応しづらい事です;

来週嫌なイベントがあるのでそれに対して今気持ちがざわつき気味ですが、それも杞憂に終わるといいなあと考えています(^^;)

自分との約束を破る。

去年の初め、まだ仕事に行っていた頃、日に日に電車に乗るのが怖くなっていました。

駅に向かってる時から嫌だな・・と思い、駅に着いても乗り込む時も乗ってる間も、目的地へ近付いていくのもどんどん恐怖が増し、「嫌だな・・どうしよう帰りたいな・・」といつも思っていました。

 

そしてある日、目的地に着く2駅前位から「怖い帰りたい、帰ってもいいんじゃない?今日は帰ろうよ」と頭の中でグルグルしながらも結局降りるに至らず目的の駅に着きました。

電車を降りた瞬間、視界は狭く音は遠くに聞こえ意識が朦朧とし「もう絶対無理!!倒れる!!今日は絶対帰る!!」と強く思い、駄目だったら駅員さんに助けて貰おうと思いつつトイレに行きたかったのでトイレだけ済まそうと入りました。

電車を降りてトイレに入るまで「絶対帰る何がなんでも帰る店の事なんか知らない絶対帰る」とずっと思っていました(ランチタイムのある飲食店で従業員の少ないお店だったので)

 

しかしトイレを済まし少し気分が落ち着くと

「少し治まったから行けるかも?」

「行くだけ行ってやっぱ駄目だったら帰ろう」

「いきなり休んだらお店にも迷惑だし・・」

と、ついさっきまで「今日は絶対帰る」「店の事なんか知らない」と思っていたのに結局行く事にしてしまいました。別に進んで行きたかった訳ではなくただ「休んだら悪いかな」と言う気持ちだけで。

 

以前カウンセリングでこの話をした時「絶対帰る!!」と言う強い気持ちがあったのにそれを無視してしまっていると言われました。

心は「辛い!もう無理帰りたい!」と訴えていて、私は「分かった。辛いね、今日は帰ろうね」と言いました。心は「分かってくれた、今日は帰ってくれるんだ!」と思っていたのに、持ち直した私は「やっぱり今日は行くね」と約束を覆してしまいました。

それに対して心は「え?!」「帰ってくれるって言ったじゃない!約束したじゃない!」

と言う気持ちになったと言います。

 

こんな事をしていたら自分と仲良くなれないのも当たり前です。

心は、「訴えてもどうせ聞いてくれない・・」とどんどん自分を出さなくなります。その結果が「自分がどうしたいのか分からない」「自分の気持ちが分からない」となっていくのではないかと思います。

自分だって、こんな対応をしてくる人に色々話そうとは思わないですよね?

「この人に言ってもしょうがない」「話しても無駄」と思い話す気がなくなると思います。

心も同じです。

 

自分を大切にする為にはちゃんと話(意見)を聞いてあげなくてはと思います。