不安障害と引き寄せの法則。

不安障害な私が 引き寄せの法則や潜在意識を使って改善を試みたり考えたりするブログです。

「引き寄せの法則でなくても良い」とは言ったけれど

以前「引き寄せの法則でなくても良い」と言った内容の記事を書きましたが、それでも私が引き寄せの法則を引き合いに出すには理由があります。 

前に言った通り、潜在意識の力、脳の考え方、量子力学・・・何でも良いのですが、私自身は『見えない力』『科学では証明できない事象』はあると思ってます。なぜなら人間の力で全てを見たり聴いたり確認したり理解したり等は到底出来ないと思うからです。

 

そして引き寄せの法則を思った時に「そんなのないよ!」と思ってしまえば可能性が狭まると思うからです。

現実にひっついた視点でしか物事を見れなくなり【世の中の常識】【医学の常識】【科学的根拠】に基づいた「治るためには〇〇しなければならない」「医者の言う事を聞かないと治らない(医者の言う事は医学的根拠があるから正しい)」「薬を飲まないと治らない」etc・・・

現実視点の【常識】と【思い込み】に縛られ、「~じゃないと治らないんだ。」と治るための方法・可能性が限られてしまうと思うのです。

 

それだと、もしお医者さんが「治るには長い年月が掛かります。」と言ったとしたら

「当分このままなんだ…」という落ち込みと「けど医者が言うんだから間違いないんだ」と言う思い込み、洗脳されてしまうと思うのです。

別にお医者さんが嘘を言っているだとか騙そうとしているとは思いませんが、お医者さんが言っているのは医学的根拠と、その人自身の考え(その人自身が見てきた真実)だと思うのです。

それに一口に【医者】と言っても全員が同じ事を言う訳じゃないですしね。「Aの方法が正しいですよ」「Bの薬がよく効きます」「最新の方法のCが良いです」等々・・・結局何を信じたらいいの?となってしまいます。合う合わないも個人差もありますし。

 

でももし引き寄せの法則の様に、今までの常識・医学・科学などでは証明できないような見えない力や不思議な力があるとしたら・・・。

現実的では考えられないような方法でうっかり良くなったり、良くなるヒントが見つかったとしたら。

素敵だなあと私は思うのです。

なので現実視点だけの狭い可能性より、現実視点じゃ思いもよらない方法もあるかも!と、そんな可能性を信じてみたいのです。

 

それが、私がなんだかんだ『引き寄せの法則』を引き合いに出す理由です(^_^)

まだまだまだまだ

長年培ってきた『思考グセ』は抜けません(><)

引き寄せの法則を信じたいけれど、完全には信じ切れない自分が居るのも事実です。完全に信じられていたらきっと今頃ほぼ治っていると思います。

 

私の指す、引き寄せの法則 とは

・ポジティブな気分で居ればポジティブな現実が引き寄せられる

・自分自身を許容、大切にする事が何より大事

 

という事がほぼなのですが、今までの思考グセや現実的な考えにより

「そうは言うけど本当にそれでいいのかなあ」

「やっぱり行動しないと何も変わらないんじゃないかなあ」

と言う気持ちはチラチラ出てきて、私を惑わせます。

引き寄せの法則を信じよう!」と固い決意も、したいけれどなかなか出来ないし

引き寄せの法則なんてないよ、現実を見よう」と無い事にも出来ない中途半端な状態です。(実際あるのは事実だと思っているので無い事にはしませんが)

 

そんな風に何だかんだ まだまだブレブレな自分ですが、HAPPYさんのブログ(初期の頃)を読むと「やっぱり信じてみようかな」と、気持ちが前向きになります(^_^)

「やっぱり駄目かも…」とネガティブな気持ちになった時、それらを読んで「やっぱりイケるかも!」と少しでも明るい気持ちになる。それだけでそこに意義はあると感じます。

今までの『思考グセ』に負けず、自身の意識の向け方をコントロール出来るようになっていきたいですね(^_^)

 

自尊心とは。

昨日の記事で、自尊心とは《何も理由がなくても自分は素晴らしい存在である》と手放しで思える事、と言う見解を書いたのですが

且つ、それは誰とも何とも比べない事、上も下もなく ただ唯一の個体として《理由なく素晴らしい》と言う不変的な事かと思っています。

 

何かが出来ないから劣っているとか。

何かが出来るから優れているとか。

 

それは社会的な理由や、何かと比較したから生まれる感情であって。

何かと比較した上で生まれる負の感情(〇〇だから自分は駄目、〇〇だから自分は劣っている等)について昨日お話しましたが

仮に自分に自信がついたとして「〇〇だから自分は優れている!」と、それがまた何かと【比較】した上での自信では良くないと思っています。

「自分は駄目だ」と思う劣等感に比べれば気分自体は明るくなるとは思いますが、それだと今度は【優越感】に浸りたくなったり、他人を見下したする様になると思うからです。

 

何かと『比べた上で』劣っている。

何かと『比べた上で』優れている。

 

結局は周りや他人と【比較】しなければ自分の価値を見出だせず、【他人との比較競争】から抜け出せない

それではきっと根本の苦しさ、生きづらさは変わらないと思うのです。

 

だからこそ他の何とも比べず、ただ何の理由もなく《自分は素晴らしい》と思える自尊心が大切なのだと思います。

 

とは言え意図するしないに関わらず、小さい頃から何かと比べる・比べられる事の多い世の中だと思うので、《何の理由もなくても自分は素晴らしいと思える自尊心》なんてなかなか育ってこないのが現状かと思いますが(勿論そういった環境やご家庭にて育ってきた方々も居るのでしょうが)

今はまだまだ少ない自尊心、それが『アリ』だと思える様に意識の書き換えをしていきたいものです(^_^)

 

【自己愛】と《自尊心》は違うのですね。

怠けてはいけない病

以前、心屋仁之助さんのブログで うつやパニックは【怠けてはいけない病】である、といった内容の記事を読みました。

私は確かにそれはあるだろうなと思いました。

 

怠けていては「いけない」

何かしなくちゃ「いけない」

人に迷惑をかけては「いけない」

頑張らなきゃ「いけない」

このままじゃ「いけない」etc…

 

これらは自己肯定、自尊心が無い(低い)からそう思うのだと思います。

自尊心とは《自分の人格を大切にする気持ち》との事ですが、今の私が思う

自尊心とは《何も理由がなくても自分は素晴らしい存在である》と手放しで思える事なのではないかと思っています。 

 

今までは勿論、そんな考え方など微塵もなくて

何かが出来るから偉い、頑張れる事(人)が偉い、と思っていました。

 

だから「何も出来ない自分=駄目」「頑張れない自分=駄目」と、自分に【不可】ばかり付けてきました。そうやって自ら、自分の潜在意識に「自分は駄目な人間である」と刷り込んで来た訳ですね。

エイブラハムのCDの中に『あなたは今、自分が思った通りの場所に居ます。』と言う言葉が出てきますが 正ににその通りだと思います。

自分の『望んだ通り』ではなく、自分の『思った通り』の場所、です。

今 自分がこういった状況にあるのも『思った通り』と言う事で納得がいくのです。

 

『思考は現実化する』と言いますが、それを創り出しているのはやはり自分だと思います。

 

【怠けてはいけない病】の話しに戻りますが、「〇〇しなきゃいけない」と言うのは「そうでなければ自分に価値はない」と言った気持ちの裏返しだと思います。

「そうでなければ自分に価値はない」「そうしなければ人に嫌われてしまう」そんな焦りや恐怖にいつも駆られているから、心は休まらず精神は疲弊して、ボロボロになっていく自分を「こんなんじゃ駄目だ」「甘えている」とまた叱責する、の繰り返し。

 

そんな事ばかりやってきて、気持ちが病まない訳がないのです。

 

何よりも大切にしなければならないものは自分。

世間の目、他人の評価、他人との比較ばかり気にしていたら、本当の自分も本当の自分の気持ちも分からなくなってしまいます。

 

とは言え、私自身も『本当の自分』を取り戻そうとしてる真っ最中です。長年培ってきた【思考グセ】は根強く、まだまだ私自身葛藤はありますが・・・。

焦らず『本当の自分』を取り戻す事、自尊心を育てる事をやっていきたいと思っています。

暴露療法や恐怖突入って・・・

早いものでもう7月も最終日になってしまいました;

書こう!と思うとなかなかまとまらないので、思いついた事をポツポツ書いていけたらいいなと思います。

 

さてタイトルの《暴露療法・恐怖突入》についてですが、以前から疑問に思っていて。

私が今まで調べた限りで得た知識ではありますが、これらはつまり「怖くても敢えてチャレンジする」「怖くてもその場から逃げない」「怖くても怖いままに普通の生活をする」と言った事ですが

私はこれらを調べた当時恐ろしくて(;_;)これらの方法を完全には真似ないとしても、それでも「どちらにせよ怖い思いはしないといけないんだ」「避けては通れないんだ」

 と絶望のような気持ちになりました。

 

それでも初期は少しづつ『行動』しようとしていました。しなければいけないと思っていました。けれど以前書いた浮かんで通ると言う事』で書いた様に、うまくいかなくて、そして引き寄せの法則を読んで『自分自身の心を一番に扱う事が大切』と思った時に

 

「怖くても、嫌でも、〇〇しなくちゃいけない」って、全然自分を大事に出来てなくない?と思ったのです。

嫌がってる、怖がってる心を無視して、無理強い。そんな強硬手段で本当に根本から良くなるの?って。

 

確かに交感神経だとか脳の過剰な反応だとか慣れだとか、医学的には~と言った理由や根拠はあるのでしょうが、それらが本当に全てなのでしょうか。

今まで信じてきた医学的な話や現実的な問題、それ以外にも方法があるのではないか。そういった意味で私は引き寄せの法則の考えを取り入れていきたいと思ってます。

 

方法は1つではなく、人によって様々であり、そしてそれらも自分自身で選択する事が出来るんですよね。

自分に合った、オリジナルの方法を見つけていきたいと思います(^_^)

 

 

 

『引き寄せの法則』じゃなくてもいい。

私は引き寄せの法則を信じていますが、別に引き寄せについてそこまで知識がある訳ではありません。

 

知ってる事としては、macoさんの本2冊とhappyさんの漫画の本と、happyさんのブログを最初から読んでる位です。(それもまだまだ80日目位までしか見てないです)

あとは動画サイトでエイブラハムの話や、引き寄せではないけどマーフィーの法則の話を聞いたりしました。

 

細かい所は多少違っても大まかに言ってしまえば、皆言ってることは

『潜在意識が大事』

『強く思う(意識する)部分がが現実に現れる』

と言う事だと思います。(その為にポジティブで居よう、良い気分で居よう、と言う事ですね)

 

それは絶対的な真理だと思います。けれど何もそれは『引き寄せの法則』でなくても良いと思っています。潜在意識、脳の仕組み、ポジティブシンキング、笑う門には福来たる・・・何でもいいのです。

目的は自分が楽に、良い気分になる事であって「引き寄せの法則を極める!」と言う事は目的ではないからです。

 

良い事に目を向ければ良い事が起こる。それは心理学や脳の仕組みから言ってもそうだと思います。意識を向けたり、無意識の中に入ってきたりすれば、望む望まずに関わらずその情報についてのアンテナが自然と張られます。

私は以前某運送会社で配達のアルバイトをしていましたが、その頃は意識しなくても同じ運送会社の人たちがやたらと目に入ってきたものです。目の前の現実が変わらなくても、目に入ってくる物、意識の向くものは自然に変わります。

だから良い事に意識を向ければ良いものが目に入ってくるし、良くない事に目を向ければ良くないものが目に入ってくる。

結局そういう事だと思っています。引き寄せの法則』という言葉がなくたって、そう言う仕組みなのです。

 

ただ引き寄せの法則と言うと「宇宙が~」「波動が~」と言った言葉がよく出てくる為、怪しいとか胡散臭いとか思う人も居ると思うのですが(私自身スピリチュアル系は怪しいと思ってましたし、手を出したらヤバイなーと思ってました)

私の場合はカウンセリングで聞き続けていた、意識の向け方、自分の心を大切にする事、他人を動かそうとしない事・・・等の話と、私が読んだ限りの引き寄せの法則』の話が「あれ?これカウンセリングで言われた事と似ているな」から始まり、尚且つ

カウンセリングで言われ続けて来たけどいまいち附に落ちなかった事が、引き寄せの法則の話を読む事で「これってこういうことなんじゃない?」と本当の意味で理解できる様になったので、私は引き寄せの法則を気に入っています。

 

宇宙の話、量子化学の話、その辺りは私にはよく分かりませんが、よく分からなくてもいいのです。

自分が理解出来る部分、良いと思う部分だけ選んで上手く使えばいいのです。

 

細かい制約もなく

「自分の感覚を信じ、自分を大切にする。それだけで良い。」

と言うのは、とても楽な事だと思います。

ブログを始めて1ヶ月。

ブログを始めてちょうど1ヶ月経つので何か書きたいと思っての記事です。

 

 とりあえず低迷期は乗り越えた様で今週は比較的落ち着いていました。

 先週は何故調子が悪かったのかは不明ですが、原因を追求しても気持ちが落ちるだけなので考えないようにしたいと思います。

 

『たまたまだ。』

『そういう時もある。』

 

位に考えていたいと思います。

 

私は引き寄せの法則を信じていますが、正直今は『引き寄せる!』とか『ワクワクしよう!』とかには至ってません。

今、はそこまで前向きに考えるのは難しいですし、かと言ってそこで「(ワクワク)出来ない!」などと後ろ向きに考えては本末転倒です。

 

『今』は、せめて『楽』になる事。少しでも心の負担になる事を減らす様にしています。

自分の心が「嫌だ!辛い!」と言ってるのを聞いてあげる事。自分自身を大事にする事。自分自身と仲直りをしたいと思っています。

 

とは言え、今まで培ってきた思考グセがあるのでなかなか上手くいかない部分もありますが・・・。その話はまた追々。