不安障害と引き寄せの法則。

不安障害な私が 引き寄せの法則や潜在意識を使って改善を試みたり考えたりするブログです。

今までの私の思考。

自分は頑張っていないと思っていました。

頑張っていない自分は駄目だと思っていました。

自分以外の人間は皆頑張っている様に思っていました。

自分より頑張ってない人も居るだろうけど、ほとんどの人は自分より頑張っていると思っていました。

自分の意見より他人の意見の方が正しいと思っていました。

他人に悪く言われれば「自分はそういう人間なんだ」と思っていました。

それが単に相手の主観や個人的に毛嫌いされてるだけだったとしても、「自分は他人にそう思われる様な人間なんだ」と思っていました。

けど誰かが自分を褒めてくれたり、良く言ってくれた時には「「お世辞だろう」とか相手が優しいからそう言ってくれてるだけだ」と思っていました。(真に受けては駄目だ、自分を「良い」なんて思っちゃ駄目だと思っていました)

 

相手からの悪意や否定は目の粗いザルの様にドバドバと入って来るのに、

相手からの好意や肯定はギュッと目の詰まったザルの様に一切と言っていい程入って来なかった。

 

実際は、入って来なかったのではなく私自身が受け取らなかっただけなんだと思います。

自分が自分を「駄目だ」と思っているから、それを証明する為にネガティブなものばかり集め、「自分は駄目だ」を証明出来なくなるからポジティブを受け入れなかった。

「自分は駄目」を自ら選択し続けていたんですね。だから今の私は『自分の思った通りの場所に居る』のです。

駄目な自分を望んでいた訳じゃないけど、結果として「望んでいる」と同意義になっていたんです。潜在意識に擦り込み続けてきたので。

 

今はそれに気づき、自らそうなろうとしていた事

自分は頑張っていない・自分以外の人間は皆頑張っていると言うのは『思い込み』だった事(仮に事実であったとしても事実かどうかはもはやどうでもよく、他人と比べた時に感じる感情に過ぎないと思う様になりました)

自分の意見より他人の意見が正しいと思うのは自分の意見が分からないからである事。自分を駄目だと思い続けた結果、自分がどう思っているのか・どうしたいのかが分からなくなってしまい、自分で分からないから他人のに委ねるしかなかったんだと思います。

 

今となっては『他人と比べても意味がない事』『他人の正解が自分の正解とは限らない事』が分かります。今までも理屈では分かっていたけど、そう思えなかったんです。他人と自分の境界線が曖昧だったんだと思います。

今は『自分』と『他人』は『別々の世界』に生きているのだと感じています。交わらない、それぞれの世界に生きているのだと。

 

今まで自分をいじめ続けて来た事、自分に対して本当に申し訳ないと思っています。今となっては何故そんなに自分に不可をつけ続けてきたのか謎です;

それもずっと、他人や世間と比較していたからなのでしょうね。比較しなければ優劣などつけようがないので。

 

けれど私はずっと自分が大好きでした。「なんで自分はこうなんだろう」と思いつつも「自分が嫌い」と思った事はほとんど無いんじゃないかと思います。

ただ愛し方を間違っていたんだなと思います。他人や世間と言うフィルターを通してしか自分を見れていなかったんです。

 

これからは、本当の意味で自分を大切にしてあげたいと思います。

リアルタイムでの発信

と言うのはなかなか難しいですよね。

私は、引き寄せの法則の考え方を取り入れた上でこの不安障害が良くなっていくか。を実験も兼ねてこのブログを始めました。

かと言って100%信じ切れてる(引き寄せの法則の考え方をちゃんと実行出来てる)訳ではないですし

薬や他の現実的・医学的な方法には頼らない、100%引き寄せの法則だけで治す!と言う実験をしている訳でもないです。(試してみたい気もしますがそこまでの勇気が出ないので;)

 

HAPPYさんはご自身で「引き寄せの法則は本当にあるのか?」を実験されていました。そしてそれは叶っている様に思います。

けどそれは既にある程度『自分自身を心地よくさせる事・自分自身を大切にする事』が出来る状態になってからのブログスタートで、土台が整ってからの【物事が現実化するか】の実験だと思います。

 

もしこれが「今日初めて〇〇を見て引き寄せの法則と言うものを知りました!全くの0からですが試してみたいと思います!」とかで「こんな事があったからこの法則は本当かも!」「いややっぱり無理かもしれない…」「いややっぱりあるかも!」「いややっぱり…」と紆余曲折してる様子がリアルタイムで見れたら、より臨場感が感じられそうだな思います。

まあそのタイミングで「ブログで経過を綴ろう!」と思う人が居るかどうかは別ですが(^^; 

 

私はHAPPYさんの言ってる事が嘘だとは思ってないですし、実際現実化していったんだろうと思っています。

ただそれは既にある程度土台が整ってからのお話だと思うので、土台が整う前のスタート、且つ引き寄せの法則に100%振り切り!みたいなブログがあれば読んでみたいな~と言うお話です。( 私は土台は整ってないですが、引き寄せの法則に100%振り切れてる訳でもないので・・・><;)

 

 

リアルタイムな記録。

私は引き寄せの法則はある(自分の心を一番大切に扱っていれば、元気に楽しく幸せに生きていける)と思っています。

私が受けたカウンセリングでも「自分を救えるのは自分だけ」「今!の自分以外の事(他人・世間の目や、今!起こってない事への不安)に焦点を当てると不安は増す」と言われました。

心理学の観点から言ってもスピリチュアルの観点(量子力学である程度証明されてたとしても)から言っても

 

とにかく大事なのは『自分の心を大事にする事』なんだと思います。

 

それが私はまだまだ出来ていなくて、私がここ数ヶ月で出来るようになった事と言えば

『自分をあまり責めない事』位かと思います。それも「それでもいいんだよ」と受け止める様な感じでもなく【考えないようにする】だけ。それでも以前は「責めても何も解決しないし、自分が余計嫌な気分になるだけだ」と分かっていても責めたり「自分はダメだ」と思う事を止められませんでした。

あとは【他人に対する怒り】は少しづつ減っては来たと感じます。私はカウンセリングでも「思い通りにならない相手への怒りが強い」と言われてきました。

「何でこうしないんだろう」「何でこんな事するんだろう」「こうするのが当然でしょ?」と言った感じで街中の人にもしょっちゅう腹を立てていました。曲がり角で確認もせず飛び出してくる自転車や、後方確認もしないでフラ~ッと斜め移動する通行人とか。

最近では、全く腹が立たないとまではいかないものの「この人はそういう人なんだな」とか「この人には確認するという概念がないんだろうなとか」とか思うようになりました。勿論実際はどうなのか分かりませんが、私のストレスが減ればいい話なので(私がどう思おうとその人の行動が変わる訳ではないですし)そう思う事で長々とイライラする事は減りました。

 

私の言う『自分の心を大事にする事』とは、自分の言うことを聞いてあげる、やりたいことをやらせてあげる、と言う感じなのですが

私自身『自分が本当は何を思っているのか?何を望んでいるのか?』が分からない為、それが出来ていないと感じています。

ですが、こうして以前よりは少しでも自分のストレスを減らせた。自分を責める事を減らせた。それだけでも以前よりは『自分の心を大事』にしてあげられているのかな、とこれを書いていて思いました。

 

それでも今はまだまだ自分の心が分からない私ですが、今後もっと引き寄せの法則を本当の意味で理解したり、自分の心が理解できたり、変化していく事があれば綴っていきたいと思います。

 

これは今の私自身の記録でもあり、今後私が見直した時に「こんな時もあったな~」と思える日が来るといいなと思っています。

(数年後とかに「全然変わってないじゃん!!」と責める材料にならない事を祈って。笑)

 

 

『決める!』より『良い気分』♪

お久しぶりです(_ _)

 

更新頻度はバラバラで、のらりくらりと書いているブログですが

それでもちょこちょこ見に来て下さる方が居るようで嬉しいです。ありがとうございます(^_^)

 

タイトルのお話ですが、引き寄せ系の本やブログ、今は本当に山ほどありますよね。

個人的には『自分に正直に生きる』『自分を一番大切にする』等を謳っているものは『引き寄せ』の言葉を使ってなくても全て引き寄せの法則と言えるんじゃないかと思っています。言っている内容の本質は大体同じだと思うので。(まぁ引き寄せの法則って名前じゃなくてもいいのですが、呼び名がないと不便なので私はこの手の話は『引き寄せの法則』と定義してます。)

 

私はMACOさんの本から引き寄せの法則を知りましたが、今は主にHAPPYさんのお話をメインに考えています。

何故なら私にはMACOさんの言う「決める!」が出来ないからです;

「決め続けるだけでいい」と言いますが、「こうなる!」「こうする!」と言ったビジョンがいまいち考えられなくて。仮に考えてみてもどこかしっくりこなく、本当にそれがしたいのか?本当に自分はそう思っているのか??と逆にモヤモヤしてしまいます。

自分自身の本当の気持ち(心の声)がまだ把握出来ていない所為かとは思いますが…。

 

そんな私にはHAPPYさん(元はエイブラハムの言葉なのでしょうが)の『まずは良い気分で居るだけでいい』と言う方が 楽だしホッとするのです。

 

「良い未来を想像しなきゃ」「できるだけ具体的に想像しなきゃ」「受取許可しなきゃ」etc…な引き寄せの法則は今の私にとっては重荷なだけ。

私が今後、もっと引き寄せの法則を理解したり、自分にもっとokサインを出せたり、

「明るい未来を想像するっきゃない!!」と思う時があれば、上記の方法を取るかもしれませんが

今、私が信じている引き寄せの法則は『自分を一番大切にする事』と『良い気分で居るだけでいい』です(^_^)

 

『自分が心地いいのが一番♪』だなんて

もしそれが本当なら、なんて楽ちんな生き方でしょう(^_^)

そうなれたらいいな♪と思いながら日々を過ごしています。(まだ、なってはいないのです笑)

「引き寄せの法則でなくても良い」とは言ったけれど

以前「引き寄せの法則でなくても良い」と言った内容の記事を書きましたが、それでも私が引き寄せの法則を引き合いに出すには理由があります。 

前に言った通り、潜在意識の力、脳の考え方、量子力学・・・何でも良いのですが、私自身は『見えない力』『科学では証明できない事象』はあると思ってます。なぜなら人間の力で全てを見たり聴いたり確認したり理解したり等は到底出来ないと思うからです。

 

そして引き寄せの法則を思った時に「そんなのないよ!」と思ってしまえば可能性が狭まると思うからです。

現実にひっついた視点でしか物事を見れなくなり【世の中の常識】【医学の常識】【科学的根拠】に基づいた「治るためには〇〇しなければならない」「医者の言う事を聞かないと治らない(医者の言う事は医学的根拠があるから正しい)」「薬を飲まないと治らない」etc・・・

現実視点の【常識】と【思い込み】に縛られ、「~じゃないと治らないんだ。」と治るための方法・可能性が限られてしまうと思うのです。

 

それだと、もしお医者さんが「治るには長い年月が掛かります。」と言ったとしたら

「当分このままなんだ…」という落ち込みと「けど医者が言うんだから間違いないんだ」と言う思い込み、洗脳されてしまうと思うのです。

別にお医者さんが嘘を言っているだとか騙そうとしているとは思いませんが、お医者さんが言っているのは医学的根拠と、その人自身の考え(その人自身が見てきた真実)だと思うのです。

それに一口に【医者】と言っても全員が同じ事を言う訳じゃないですしね。「Aの方法が正しいですよ」「Bの薬がよく効きます」「最新の方法のCが良いです」等々・・・結局何を信じたらいいの?となってしまいます。合う合わないも個人差もありますし。

 

でももし引き寄せの法則の様に、今までの常識・医学・科学などでは証明できないような見えない力や不思議な力があるとしたら・・・。

現実的では考えられないような方法でうっかり良くなったり、良くなるヒントが見つかったとしたら。

素敵だなあと私は思うのです。

なので現実視点だけの狭い可能性より、現実視点じゃ思いもよらない方法もあるかも!と、そんな可能性を信じてみたいのです。

 

それが、私がなんだかんだ『引き寄せの法則』を引き合いに出す理由です(^_^)

まだまだまだまだ

長年培ってきた『思考グセ』は抜けません(><)

引き寄せの法則を信じたいけれど、完全には信じ切れない自分が居るのも事実です。完全に信じられていたらきっと今頃ほぼ治っていると思います。

 

私の指す、引き寄せの法則 とは

・ポジティブな気分で居ればポジティブな現実が引き寄せられる

・自分自身を許容、大切にする事が何より大事

 

という事がほぼなのですが、今までの思考グセや現実的な考えにより

「そうは言うけど本当にそれでいいのかなあ」

「やっぱり行動しないと何も変わらないんじゃないかなあ」

と言う気持ちはチラチラ出てきて、私を惑わせます。

引き寄せの法則を信じよう!」と固い決意も、したいけれどなかなか出来ないし

引き寄せの法則なんてないよ、現実を見よう」と無い事にも出来ない中途半端な状態です。(実際あるのは事実だと思っているので無い事にはしませんが)

 

そんな風に何だかんだ まだまだブレブレな自分ですが、HAPPYさんのブログ(初期の頃)を読むと「やっぱり信じてみようかな」と、気持ちが前向きになります(^_^)

「やっぱり駄目かも…」とネガティブな気持ちになった時、それらを読んで「やっぱりイケるかも!」と少しでも明るい気持ちになる。それだけでそこに意義はあると感じます。

今までの『思考グセ』に負けず、自身の意識の向け方をコントロール出来るようになっていきたいですね(^_^)

 

自尊心とは。

昨日の記事で、自尊心とは《何も理由がなくても自分は素晴らしい存在である》と手放しで思える事、と言う見解を書いたのですが

且つ、それは誰とも何とも比べない事、上も下もなく ただ唯一の個体として《理由なく素晴らしい》と言う不変的な事かと思っています。

 

何かが出来ないから劣っているとか。

何かが出来るから優れているとか。

 

それは社会的な理由や、何かと比較したから生まれる感情であって。

何かと比較した上で生まれる負の感情(〇〇だから自分は駄目、〇〇だから自分は劣っている等)について昨日お話しましたが

仮に自分に自信がついたとして「〇〇だから自分は優れている!」と、それがまた何かと【比較】した上での自信では良くないと思っています。

「自分は駄目だ」と思う劣等感に比べれば気分自体は明るくなるとは思いますが、それだと今度は【優越感】に浸りたくなったり、他人を見下したする様になると思うからです。

 

何かと『比べた上で』劣っている。

何かと『比べた上で』優れている。

 

結局は周りや他人と【比較】しなければ自分の価値を見出だせず、【他人との比較競争】から抜け出せない

それではきっと根本の苦しさ、生きづらさは変わらないと思うのです。

 

だからこそ他の何とも比べず、ただ何の理由もなく《自分は素晴らしい》と思える自尊心が大切なのだと思います。

 

とは言え意図するしないに関わらず、小さい頃から何かと比べる・比べられる事の多い世の中だと思うので、《何の理由もなくても自分は素晴らしいと思える自尊心》なんてなかなか育ってこないのが現状かと思いますが(勿論そういった環境やご家庭にて育ってきた方々も居るのでしょうが)

今はまだまだ少ない自尊心、それが『アリ』だと思える様に意識の書き換えをしていきたいものです(^_^)

 

【自己愛】と《自尊心》は違うのですね。