引き寄せの法則で心を穏やかに。

不安障害な私が 引き寄せの法則や潜在意識を使って改善を試みたり考えたりするブログです。

この世の全ては神様かも。

今までになくスピリチュアル全開なタイトルですが。

 

私は『スピリチュアルな力』と言うものがあってもなくてもどちらでも構わないと思ってます。

私の目的は『(不安障害を治して)幸せな生活を送ること』であってスピリチュアルや引き寄せの証明、整合性自体には大して興味がないからです。本当に宇宙の力かはどうあれ、その考え方が自分にとって有益であれば取り入れたいと言う考えでいます。

そんな中、このスピリチュアルなタイトルな訳ですが

スピリチュアル関係のものを見たり探している中で「神は全てを作りました。草も石も動物も人間も地球も宇宙も・・・。神以外の存在はこの世にはありません」と言った言葉を見た時に

「《神以外の存在はこの世にはない》のなら、この世にある全ては《神様である》と言えるのでは?」と思ったのです。

それは「人間も、動物も、植物も神様」と言う大きな括りでなく、人間で言うなら髪も、皮膚も、爪も、それらを構成する分子、原子、素粒子・・それら全てが隅々まで余すことなく『神様』なのでは、と。形のない『心』や『感覚』『感情』なども全て。

そう考えるとスピリチュアルでよく言われる「ワンネス」「全ては繋がっている」と言うのも理解出来る気がします。

今までは「嫌いなあの人とも《同じ》なんてヤダ!」とか「あの虫やあのゴミとも《繋がっている》と言うの?」とか思って受け入れられなかったんです。それが前途のように思ったら「全部同じものなんだから仕方ないか💨」と言う気になったのです。また、「ネガティブな思考は自分のものではなく周りから拾って(受信して?)いる」と言うのを聞いたことがあるのですが、それも「皆同じものから出来ているんだからそういう事もあるかもね」と思えるようになりました。

それが真実か否かは分かりませんし、「みんな神様なんだから全て大丈夫なんだよ!」等と押し売りする気もありません。

ただこう思う事で『私』は少しホッとしたり、「まあいいか。」と思えるようになったのでそれをシェアしようと思い書く事にしました。

また、瞬間的に意識を『今』に戻すのにも有効なのではと思います。じっと手を見たり、髪の毛を見たり、足の爪等に意識を向けたりして「これら全てが隅々まで、神様の一部なんだなあ」と思うと何だか心がホワッとします(私の場合は。)

同じように感じる方が居れば取り入れて貰うのも良いかも知れません。

 

何度も言いますが真偽の程は私には分かりません。ただ真偽はどうあれ、自分にとって『心地の良いもの』を選択して『幸せな気持ち』になっていけたら良いなと思います。

 

 

 

真実とは何か?

「体に良い食事とは何か」と言うお話です。

 

世の中色々な食事法があります。

以前行っていたクリニックは「血糖値の乱高下により過度な不安やパニックが起こる」と言う考えで糖質制限を推奨していました。

また、MEC食と言うものがあります。肉(Meat)、卵(Egg)、チーズ(Cheese)の頭文字を取ったもので、簡単に言うと良質なたんぱく質である肉、卵、チーズさえ食べていれば健康になると言った感じです。

あと最近よく耳にするようになったヴィーガン。これは動物由来の物を一切摂らないと言う考え方で穀物、野菜、果物、きのこ類、海草等を食べるみたいです。

 

どれもみんな「この食事で健康!」と言います。

糖質制限MEC食は似てる部分がありますがMEC食とヴィーガン食は正反対の主張ですよね。

 

どちらが正しいのでしょうか。どちらを実践すれば「本当」に健康になれるのか。

 

答えは・・・分かりません。

絶対的な真実はないと思うからです。

 

糖質制限で健康になった人は「糖質制限こそ至高!」と言うでしょう。

MEC食で健康になった人、ヴィーガンで健康になった人は「MEC食こそ至高!」「ヴィーガンこそ至高!」と言うでしょう。

 

Happyさんのマンガ「幸せの教科書」と言う本の一文で「人はそれぞれ自分の体験した「真実」と言う名の「正しさ」を主張してる」と言う言葉があります。

 

世の中の食事法、健康法もそういうものなのではないでしょうか。

勿論、長年の研究で科学的や医学的に証明されている、と言う事はあります。それらが間違っているとは思いません。正しいと言う「結果」が出て、正しいと言う「根拠」があるのでしょう。

では、それを実践すれば誰一人例外なく「同じ結果」が出るのでしょうか。

ラーメンが大好きな人が糖質制限を奨められ、「大好きなラーメンが食べられないストレス」は精神にどんな影響を及ぼすでしょうか。

 

私は以前緑茶をよく飲んでいて、それを医師に話した所「そんなに飲むのはカフェイン中毒だから緑茶はやめなさい」と言われノンカフェインのお茶を数ヵ月飲んでました。ですがカフェイン中毒と言われた割にはカフェインをやめても何の支障もなく、かと言って何の健康的メリットもありませんでした。

飲んでも飲まなくても体感として良いも悪いもない。

そうすると緑茶をあえて避ける必要もない。なので今では普通に飲んでます。

 

「緑茶のカフェインは体に悪い」

「緑茶はカテキンやビタミンCが豊富で体に良い」

 

対極のこの言葉、どちらかが正しく、どちらか間違いでしょうか?

物事には色んな側面があると思います。

 

自分の体や心と相談して、自分にとって良いものを「選択」していきたいですね。

そしてそれらを選択できる『自由』が、私達にはあるのです。

残念な事がありました。

広告、ブログ、HPetc・・それらは嘘なのでしょうか?

 

誇大広告なのでしょうか。耳障りの良い言葉を並べて

「もう大丈夫ですよ、何でも話して下さい」と言われて、いざ信用して話したら怒られる。

 

「何でも話して下さい」の言葉は何だったのか。

「(自分の気に障らない程度なら)何でも話して下さい」と言う事なのでしょうか。

 

心が弱ってる人をカモにしてるのでしょうか。

やはりスピリチュアル系の人はそういうの多いのでしょうか。

スピリチュアルに限らず、明確な資格の無い個人事業主の人はピンキリなのでしょうか。

個人事業主に限らずピンキリかもしれませんが・・。

 

どれが良くてどれが良くない等どうやって見分けるのでしょうか。

良い人だと思い、信用してたのに残念です。

 

信じるって難しいですね・・。

 

 

 

 

『思考』は本当の自分ではない?

「思考は本当の自分ではない」と言うお話を最近聞きました。エックハルト・トールと言う人が唱えている事の様です(この人が先駆者と言う訳ではないようですが)

 

思考は自分ではない?じゃあ脳みそは何の為にあるの??と思ってしまうところですが、『本当の自分』、つまり引き寄せや宇宙の法則等でよく言われる『大いなる全て』に当たる部分ではない。と言う事の様です。

 

確かに思考は【人間的な、現実的な物の見方】だとは思います。

よく言われる「今、ここ」だとか「過去や未来はない、『今』しかない」(逆に過去も未来も『今』同時に在るとも言いますが)と言うのも、疑問がない訳ではないですが概ね理解出来ます。

 

思考の話に戻ると、『今』に居ないと不安になる。過去を悔やんだり未来を考えて不安になったり悲しくなったり。

その【考】える事が正に【思考】ですよね。

『今』ではない過去や未来を【思考】して不安がっている。

【不安】を【思考】で自ら作り上げている。

そう言った意味で「思考は本当の自分ではない」と言うのは理解できる気がします。

じゃあ思考はどこから来るのか?記憶・観念・周りからの情報etc・・やはり【人間的な、現実的な物の見方】が【思考】なのではないでしょうか。

 

思考以外では『意識』や『感情』があります。食べ物を食べて「おいしい!」と思うことや音楽を聴いて心に響く事は『感覚』であり【思考】ではないですよね。

「この食べ物はグルタミン酸と○○の成分が混ざり合う事により脳がおいしいと認識する組み合わせだから「おいしい」と感じるはずだ」とか考えて「おいしい」を認識する訳ではないですよね。

前者と後者なら前者の方が『本当の自分』と思えるのではないでしょうか。

 

思考は全部ウソの自分!とまではいかないと思いますが、「過去あんな事があった・・思い出しても悔しい、悲しい」とか「この先あんな事になったら、こんな事になったどうしよう」とくよくよしてしまう時「思考は本当の自分ではないんだ、どこかから、経験から引っ張り出してきてしまっただけなんだ」と思えたら少し断ち切れるんじゃないかな、と思います。

(そんな事言っても過去にあった事は事実で・・と思うかも知れませんが、その過去は実際にあったとしても『今』は『ない』ので。今無いものを自分で【思考】して作り出し、わざわざ嫌な事を追体験しているのは自分なので、その【思考】を止められたら良いのではないかと思います。)

 

忘れていない事。

 前回の記事

ホワイトエンジンとブラックエンジン - 引き寄せの法則で心を穏やかに。

 で電車に乗る事について書きましたが実は去年、電車で6駅、乗り換えて1駅の以前よく行っていた駅に降り立つ事がありました。(いつもは行けても2~3駅程度)

 

その場所に行けたのは1年以上ぶり、さぞ「わあ!久しぶりに来れた!!」と感動するかと思いきや「あれ?ついこの間も来たんじゃない?」と言った感じで。

 

見慣れた景色、数日前にも来てたかのような「当たり前」と言った感覚

 

その時私は「今見えないものも『今』は見えなくなってるだけで、自分の中から消えた訳じゃないんだな。本当は今も自分の中にあるんだな」と思いました。

 

以前「当たり前」に出来ていた事が今は当たり前じゃなくても、きっとまた思い出した際には「当たり前」になってくれる事でしょう。

 

その時を焦らず待ちたいと思います。

 

ホワイトエンジンとブラックエンジン

ホワイトエンジンとブラックエンジンと言うものがあります。

ホワイトエンジンは喜び・ワクワク・純粋にただやってみたい!前向きな動機から来るもの(感謝や貢献、信頼から~ともありますが私の解釈&引き寄せ的に言うとこうかなと思います)

ブラックエンジンは不安・恐怖・焦り・危機感などのネガティブな感情を動機にしたもの。「これが出来なかったら大変な事になる」「これを失くしたらもう終わりだ」等、出来なかったら・・ダメだったら・・そうなったら嫌だから、怖いから、そうならないように行動する。

きっとブラックエンジンで動く人の方が多いんじゃないかと思いますが、私たちのように不安から来る精神障害の人は特にこの傾向が強いんじゃないかなと思います。

 

私は電車に乗れなくなる前、どんどん乗れる(行ける)場所が少なくなる中でも乗らなきでゃ!このまま乗らなくなったらもっと乗れなくなってしまう!と言う、正にブラックエンジンで動いていました。

けどそれで「恐怖から行動した結果、電車に乗れる事を維持」は出来なかったです。恐怖はただ大きくなり「もう電車に乗りたくない!怖い!」と思う出来事にぶち当たりその時は完全に乗れなくなりました。

その数ヵ月後また電車に乗る練習を始め、3ヶ月程毎週乗る練習をしていました。乗れた時、出来た時は確かに嬉しいのですが、続けていくうちに「今週は乗れた!・・来週は乗れるだろうか?」「この【毎週乗る】サイクルを崩してはいけない」「このサイクルを崩したらまた乗れなくなるのではないか」と「~しないと出来なくなるんじゃないか、悪い事が起こるんじゃないか」と言うブラックエンジンにまた陥ってしまいました。

「電車に乗れている」と「電車に乗れていない」では現実・事実としては前者の方が進んでいるように見えるけれど、その後にこのような恐怖、不安、ストレスが掛かるのならば精神的にむしろマイナスなのではないかなと思い、「毎週電車に乗る」と言う自分ルールはやめました。

やめる時も、本当にいいのかな?「電車に乗れている」と言う事実はあるのだから続けていた方がいいんじゃないかな?とは思いましたが、現実で推奨されている【行動ありき!】よりも『今の心の状態』を取ったのです。

今は気が向いた時、2~3ヵ月に1度位のペースで乗っています。気が向かなければ3ヵ月以上乗らない事も。けどそれで「毎週乗ってた頃」と「2~3ヵ月に1度の今」では特に変わりはありません。「久々だから緊張!」も特にないし逆に「毎週乗ってる方が慣れて楽だった」もありません。乗る回数は確かに減ったけれど毎週「来週は乗れるかな?」とギュっと硬くなってるよりは精神的負担は減ったと思います。

ブラックエンジンで動く事が必ずしも悪い結果を生む訳ではないとは思いますが、引き寄せ的に言う「良い気分・ホッとする」とブラックエンジンで動く事は真逆な行動かなあと思います。

 

この記事が「自分の行動はブラックエンジンで動きすぎてないかな?」と考えるキッカケになってもらえたら嬉しいなと思います。

グルグル

「他人を助けたい」なんて思う前に一番救わなきゃいけないのは自分なのに、自分も救えていないのに他人を助けたいなんて飛び級みたいな事、おこがましいとは思わないか

けど誰より先に自分を助けたいなんて、自分の事しか考えていなくておこがましいとは思わないか

自分が幸せになれば他人も幸せに出来るなんて、自分が幸せになりたいだけの言い訳ではないか

けど自分が満たされていない人間に他人に幸せを振りまく事なんて出来るのか

自分が愛を持っているからこそその愛を周りにも振りまく事ができるのではないか。

グルグルグルグル、堂々巡り。