今年のテーマ『許す』について
私が今年のテーマとして掲げた『許す』についてですが
よく引き寄せやスピリチュアルで言われる『受け入れる・認める・手放す・許す・許容する』等の言葉。(『受け入れる・認める』辺りは心理学や心の病の話でもよく聞くかと思います)
私は現在、これらの言葉はほぼ同義語だと感じています。『受け入れる』と『手放す』についてはINとOUTなのでどっちなの?と思うかもしれませんが私が現在定義している感じとしては
・(善悪等ジャッジしたり意味付けしたりせずただ「そっくりそのまま」)受け入れる
・(同上「そっくりそのまま」)認める
・(執着・抵抗を)手放す
・(善悪等ジャッジしたり意味付けしたりせず「そのままである事・そのままの状態である事」を)許す
・(同上「そのままである事・そのままの状態である事」を)許容する
「同義語」と言っているので今年のテーマが『受け入れる・認める・手放す』でも良いのですが、私は現在『許す・許容する』の言葉が一番しっくり来るのでそうしています。
気づきを得ました。を書いていた去年の6月頃は「執着を手放す」をしようとしていて、件のスピリチュアルカウンセラーに「手放す事」についてどうすれば良いのかよく聞いていました。
エイブラハムの瞑想では「抵抗を手放す」と言う言葉が出てきますが、執着とは「こうでなければならない」と言う事、不安障害で言うなら「治さなければならない」「今の(病気の)ままではいけない」と言う事、「今の状態はいけない」とは「今の状態に抵抗している」と言う事、「抵抗している」と言う事は「今の状態を受け入れていない、認めていない」と言う事。かと思います。
とは言え「よし手放そう!」「受け入れよう!」「認めよう!」「許容しよう!」と言った所で「ハイ出来ました!」とはならない訳で
実際「執着を手放す」をしようとしていた私は、「執着を手放そう」「執着を手放さないと良くならないんだ」「執着を手放すってどうしたらいいの??」と【執着を手放す事に執着】していると言う何が何だか状態でした。
いつから「手放す」から「許す」にシフトしていったのかは覚えてませんが「物事をジャッジしない、ニュートラルに捉える」と言う事が少し染み込み始めた頃でしょうか。
「ジャッジしない」と言うのはHAPPYさんもよく言っていた事ですが「ニュートラルに捉える」と言うのは三凛さとしさんがよく言っている事で「何事にも良い面と悪い面があり、全ては中立である」と言った感じです。三凛さんが言うには「ポジティブに思える物事にもネガティブな側面があり、また、ネガティブに思える物事にもポジティブな側面(恩恵など)がある」との事ですが、私は現時点ではポジティブな物事にネガティブな側面を探したり、ネガティブな物事に「感謝出来る事は何か」等のポジティブな側面を見出したりしようとはしてません。
ただ何となく「中立なんだなー」「良いも悪いもないんだな」と思っています。以前何かの記事に書きましたが、意味づけするから良いとか悪いとか思う(ジャッジする)んですもんね。
ちなみに私のテーマの「許す」と言うのは「自分の行動や考える事(そうで在る事)をそのまま許す(認める・受け入れる)」と言う意味で、他人のイラッと行動を許すとか、過去にあった嫌な出来事を許すと言う事は意識してません。
とりあえず『今』は、自分の出来事、思う事をそっくりそっくりそのまま『許す』。と言う練習をしていこうと思ってます。